2018年も終わり。
ということで、今年一年のふり返りをしようと思います。
今年は一言で言うと「もがいて光が見えた一年」だったと思います。
以下で詳しくふり返ります。
1月〜6月
新年の目標に掲げた「不労所得」を作ろうと、とあるサイトを作り、半年ほどアルバイトで食いつなぎつつサイトを充実させて収益化しようと試みましたが、うまくいきませんでした。
そのサイトなら短期間で不労所得が作れると考えていたのですが、現実はそう甘くなかったです。
挫折を味わいました。
7月〜8月
そのサイトは少々特殊なサイトだったので、すぐに稼げないのではないかと最初は考えました。
そういった特殊なものではなく、一般的な情報サイト、例えば得意な英語について様々な情報を提供するサイトを作れば不労所得が作れるだろうと考えました。
実際ある程度構想を練っていましたが、当時、ありがたいことに様々な友人と会う機会があり、いろいろと話をするうちに少し考え方が変わってきました。
得意でも本当にやりたいわけではない英語で不労所得を作るのではなく、いっそのこと本当にやりたい哲学や音楽から始めていった方がいいのではないかと思うようになったのです。
そもそも不労所得を先に作ろうとしたのは、本当にやりたい哲学や音楽だけに取り組む時間を作るためでした。
当時、哲学や音楽で稼ぐことは不可能ではないと思ってはいましたが、5年、10年はかかるだろうと考えていました。
そのため、稼げるかもわからない哲学や音楽を何年も続けていくのは不安でしかないとも感じていました。
そこで、先に不労所得を作ってしまって、稼ぎを気にすることなく哲学や音楽を趣味としてやり続けられるようにすればいいと考えました。
また、いきなり哲学や音楽を始めると、しばらくはそれだけでは食べていけないので、生活費を稼ぐ副業を別にする必要があります。
その副業の時間を1週間の中で例えば3日とか割かねばならないので、哲学や音楽を進められるスピードは落ちることになります。
いきなり哲学や音楽をやることのデメリットをそういったところに感じていたので、まず不労所得を先に作ることを考えていました。
ところが、少し考え方が変わり、哲学や音楽を後回しにせず先にやり始めることのメリットがデメリットを上回るように思えてきました。
明日もどうなるかわからないような人生ですから、不労所得が作れる保証もなければ、いつ死んでしまうかもわかりません。
いつ死んでも悔いのないように、本当にやりたいことからやっていく。
その方が、毎日を楽しく生きれると思いました。
そうやって楽しんで哲学や音楽をやっていた方が、そこから生み出される作品にも魅力が出て、結果としてより多くの人の役に立てるとも思います。
どっちが近道か遠回りかもよくわからないし、一生わかることはないと思いますが、そんなことはこの際もうどうでもよくて、自分の心がよりよい状態であれる方を選ぼうと考えました。
すなわち、進めるスピードは遅いけれど本当にやりたいことである哲学や音楽から始めることにしました。
9月〜11月
そう思い立ったのが、今年の9月の頭で、本格的に哲学と音楽を始めようとしました。
一度に両方始めるのは大変だと思ったので、まずは哲学だけに集中してみることにしました。
いろいろ考えて、哲学で食べていくには哲学の情報や自分の思想を発信する必要があると考え、哲学のブログを作ろうと思い立ちました。
ただ、これも僕の変に完璧主義なところが出てしまっていけなかったのですが、どうせ作るなら納得のいくものを作りたいということで、ゼロからWebサイトを作ることにしました。
上記のように、以前に不労所得を作ろうとしてWebサイトを作った経験はあったのですが、それはブログではなかったので、まずブログの構造を知る必要があると考えました。
そこで、これも前々から作りたいと考えていた自分のブログを作ることにしました。
それこそがこのブログ「哲学者の日常」にほかなりません。
内容は哲学以外のすべてのこととしました。
人生ブログと呼んだり、雑記ブログと呼んだりします。
このブログを作ってみて、なんとなくブログがどういうものか見えてきました。
それが9月と11月の後半でした。
11月の前半は友人に会いにヨーロッパに行っていました。
10月はその旅行の準備をしてほとんど終わりました。
今旅行なんかしている場合なのか、と思ったこともありましたが、友人を現地で訪ねられるのは今しかないと思って、思いきって行くことにしました。
哲学の活動は先延ばしになってしまいましたが、このタイミングでヨーロッパに行けたことは結果としてもよかったと思います。
多くの芸術・美術作品や美しい街並みを見れて、非常に勉強になりましたし、自分の人生を見直すとてもよいきっかけとなりました。
12月
ヨーロッパ旅行から帰ってきて、ブログを仕上げて公表し、作業的にブログがある程度軌道に乗ったと思ったので、哲学の活動を進め始めました。
具体的には哲学のブログを作ろうとデザインを考えたり、構想を練り始めました。
それが12月の頭でした。
ただ、その期間も長くは続きませんでした。
急に、お金の不安に駆られ始めたのです。
以前やっていたアルバイトは10月いっぱいで辞めていたので、収入がなくなっていました。
もちろん、哲学ですぐに食べれるとは思っていなかったので、別のアルバイトをすることに。
いろいろ考えて、やりがいもあって、自分に必要なスキルも学べる塾講師をすることにしました。
初めてだったので、大きな教室で多数の生徒に授業をするような「集団指導」ではなく、まずは一人一人の生徒に個別に指導する「個別指導」を選びました。
10月に、とある個別指導塾の講師アルバイトに応募して、ありがたいことに採用していただきました。
話を伺っていくと、塾講師の特殊性というものがわかってきました。
考えてみれば当たり前なのですが、塾講師の仕事の日時と量は100%自分でコントロールできるものではありません。
指導する対象の生徒さんがいて初めて成り立つものなので、もちろん生徒さんがいなければ仕事ができません。
生徒さんも、別に先生の都合で入塾したり指導時間や指導科目を増やしてくれるわけではないので、当然先生の都合だけでは働けません。
飲食業やサービス業と違って「この曜日のこの時間に働きたいです」と言って、その通りに翌週から働けるわけではないのです。
その実情を聞いて、一抹の不安を抱きながらも、生徒さんを紹介してもらえるまで待つことにしました。
希望の勤務時間は週20時間と伝え、その量の仕事を紹介してもらえるまでどれくらいの期間がかかると期待されるか、その期待値を責任者の方に聞くと、半年くらいと言われました。
ここで「最初の仕事がもらえるまでの期間の期待値」を聞いておくべきでしたが、あまり質問ばかりして変に嫌われるのも嫌だったので、しばらく待ってみることにしました。
1ヶ月くらいで最初の仕事がもらえるだろうと高をくくっていました。
結局、1ヶ月経っても連絡は来ず、月日だけが流れました。
当時は、3ヶ月くらいは様子を見よう、と考えており、最初の仕事が入るまで高校の教科書を購入して復習をしながら待ちました。
そして、12月になりました。
ある日、復習をさらに進めようと中学の教科書を通販で買おうと思い立ち、銀行口座の残高を確認すると、ほとんど貯金が残っていませんでした。
月末には携帯代と今年買ったパソコンのローンが引かれるので、このままでは残高がマイナスになってしまうとわかりました。
さすがに、これはまずいと感じました。
何も手につかなくなりました。
お金がないことへの不安が頭の中のすべてを占領して、お金のことしか考えられなくなりました。
どうしたらすぐお金を稼げるか、ということにしか意識が向かなくなりました。
人間というのはすごい生き物ですね。
お金がなくなりそうになると、お金のことだけを考えるようになって、必死にお金を作り出そうとするようです。
そんな生存本能とも言える機能にただただ不安にさせられ、お金を稼ぐ方向へと駆り立てられました。
もう、哲学どころではありませんでした。
極限状態でした。
それでもなんとかしようとして、友人に聞いたり、いろいろと調べたりするうちに、個別指導塾のことが少しずつわかってきました。
どうやら個別指導塾には様々な種類があり、一つの分け方として「1対1」と「1対複数」があるようです。
僕が最初に応募したところは「1対1」でした。
聞くところによると、「1対複数」の個別指導塾はある程度融通のきくシフト制でもあり、最初の仕事をすぐにもらえるらしいとわかりました。
最初の塾からいつ仕事をもらえるかわからない不安があったし、もし仮に最初の仕事をもらえたとしてもそれもいつまで続くかわからない。
そして希望の週20時間に達するまでどれくらい時間がかかるかもわからなかったので、悩みましたが思いきって、「1対複数」の塾をかけもちしてみることにしました。
ありがたいことに、改めて応募した「1対複数」の塾にも採用していただき、かけもちで働き始めることになりました。
一応、両塾に正直に話して、かけもちでやらせてもらうことを了承していただきました。
本当にありがたいことです。
12月末
そして、最初に採用していただいた塾から最初の仕事も紹介していただき、指導も始まりました。
今は、担当科目の復習をしたり、指導の準備をしたり、実際に指導をしたりと、せわしくも充実した毎日を送っています。
始めたばかりなので、塾のことに時間のほとんどを費やしていますが、そのうち慣れてくれば効率よくできて、空いた時間を確保して哲学の活動を再開できると思います。
まだまだ塾講師を始めたばかりなので、偉そうなことは言えませんが、今までやってみた感覚としては、塾講師のバイトは全然苦じゃないです。
アルバイトは苦行でしかなかった僕にとって、これは衝撃的でした。
塾講師は、多少なりとも自分の得意なことを活かして人の役に立てているという「やりがい」があり、将来使うであろう人に何かを説明したり教えたりする「スキル」が身につきます。
それから復習で勉強すると意外といろんな発見がありますし、そもそも自分は勉強が本当に好きで勉強していると時間も忘れるほど熱中できて楽しいということにも気づけました。
これからは趣味の一つに「勉強」を挙げることにしますw
というわけで、現時点では塾講師は僕にとって「一石四鳥」くらいの素晴らしいバイトということがわかりました。
哲学の活動を長く継続してやっていくために、副業として塾講師のアルバイトをしばらくは続けていきたいなと思っています。
今のところ、このバイトは他のどんなバイトよりも長く続けられるような気がします。
愚直に淡々とやっていきたいと思います。
また、やはり心身ともに持続可能な生活が大事だと思いました。
何事もそうですが、ある程度の成果を出すには継続することが肝心です。
というわけでこれからは、最低でも1年くらいは副業として塾講師のアルバイトをしながら、空いた時間で哲学の活動をし続けていきたいと思います。
まとめ
とまあ、そんな一年でした。
一年ふり返ってみると、なかなか辛酸をなめた、苦しい一年だったことがわかりました。
いろいろ挑戦しましたが、目に見える成果がほとんど出なかったので、「お前は一体この一年何をしてたんだ」と周りから言われても仕方ない一年でした。
目に見える成果は大してありませんでしたが、いろいろな失敗をして、いろいろな経験をして、いろいろなデータが集まったので全然ムダな一年だったとは思いません。
むしろ早いうちにいろいろ失敗しておいてよかったなと思います。
今年一年のほとんどはもがいて苦しい思いをしたのですが、最後は長期にわたって持続できそうな副業が見つかって、そのかたわらで哲学の活動が今後継続していけそうな予感がしたので「光が見え始めた」感覚になりました。
このような形で一年を締めくくれたのはよかったです。
今年は、いわゆる「レール」から外れてフリーランス的な生活をし始めた一年でもありました。
レールの外を歩いてみて、レールの外とレールの上はずいぶんと違うということに気づかされました。
そしてレールの外のいろいろなことが少しずつわかってきました。
これは、言葉で表すことはできますが、本当に理解するにはレールの外を実際に歩いた者でないと難しいと思います。
想像の域を超えます。
本当にまったく異なる世界だなと思いました。
そこに住む人間も異なる「人種」だなとさえ感じました。
とにかく、特殊な世界であることはわかったし、食べていくのはそう簡単ではないということも身にしみて感じました。
それでもやはり、僕はレールの外の世界にいるべきだなと思いました。
いや、「いたい」と思いました。
フリーランス生活の詳しいことについては、今後また発信していけたらいいなと思っています。
まとめると、そんなレールの外をさまよって、もがいて、苦しい思いもして、それでも少しずつ光が見え始めた一年でした。
みなさんの一年はどんな一年でしたか?
翔太君
小島信一郎の父親です。
翔太君のことを、わが子同様に愛おしく応援する者です。
今後とも、親子ともども敬愛の仲間でいてください。
= 貴殿のこのサイトについて思うこと。 =
【長所】
・写真がとても美しい。(特に南フランス編)
・哲学で生きるという覚悟が、功利主義の現代社会に無い尊い生き方に共鳴
・内に籠らず、発信していこうという積極的・能動的な哲学
【短所】
・お金が必要だと分かって、あえて拒否している。真っ向からお金儲けの目指す哲学がほしい?
・情報を発信する意味が不明
= 私の考え =
①貴殿は、信一郎の無二の親友であり貴殿から戴く影響が、信一郎の人格形成の糧になっている。
②私も学生時代(専修大学法学部:三流大)に、哲学に興味を持った時代があった。古典哲学(パスカル、ゲーテ等)も読みましたが、私の人生に影響を与えたのは月刊誌PHPかな?(哲学というより生活の助言書)
③尊敬する人は、渋沢栄吉、松下幸之助、蒲島郁夫、小澤征爾、藤村信(熊田亨)
最後の人は、私の伯父で父方の妹(熊田一恵)の亭主でフリーのジャーナリストで東大卒業後、貧乏から文学の勉強を続けられず、新聞社(朝日新聞)の入社試験に落ち、中京新聞に拾われる。中日新聞時代、組合活動に参加したことで中東に派遣される。当時、中東にいた日本人ジャーナリストは二人だけ。お蔭でロシア人・フランス人と仲良くなり、彼らの言語に精通し、フリーとなっても関係した人たちから情報を得ることが出来、パリでフリーとなっても執筆活動に事欠かず、貴重な情報を日本に発信し続けることが出来た。但し、当時(冷戦下)ロシア語ができることで「プラハの春」を取材したことから2重スパイ扱いされ、家族も危険な状況に至らされたが「ボ=ン上田賞」を受章するなど岩波出版から数々の書籍を出版された。
= 助言 =
①貴殿の才能の開花方法として、まずは信州の美しい自然に音楽を付けて何らかの方法で発信することかな。
②悩める者(老若男女)がその媒体から癒されること。
③やる気の発露は、人に喜びを与え、人から感謝され称賛をいただくことかな。
具にもつかないコメントを送りましたが、翔太君にお役に立ちたく。また、翔太君から戴く刺激は信一郎と同様、強いものを感じるから。
還暦を過ぎた者ですが、カマってやってください。
気づいたことがあったら、勝手にコメントします。とりあえず良いブログ発見 ⁉
信一郎くんのお父様!!
先日(1年ほど前ですが)は寝床と食事を用意していただきましてありがとうございました。
大変助かりました。
応援していただき、ありがとうございます。
こちらこそ、今後ともよろしくお願い申しあげます。
長所について拝見しました。ありがとうございます。
短所についてですが、
「お金が必要だと分かって、あえて拒否している。真っ向からお金儲けの目指す哲学がほしい?」に関しましては、回答になっているかわかりませんが、哲学をいきなり始めないのは生活をまず安定させるためです。哲学ですぐに稼げなくても最小限食べていかれるように哲学とは別に副業の塾講師をしています。塾講師の仕事がある程度軌道に乗って時間的余裕が出てくれば哲学の活動を本格的に再開したいと思います。哲学で食べていければ哲学だけをやっていけるので最高だと思いますが、なにもお金儲けを目指して哲学をしていくわけではありません。
「情報を発信する意味が不明」につきましては、おそらくこちらのブログの内容であると考えて回答いたします。こちらのブログの目的は最初の記事とこの記事に書きましたように、私の人生を公開することで誰かの役に立つことと、私自身がブログの仕組みや形式に慣れ、次に作ろうとしている「哲学ブログ」に活かすためです。正直、私もこのブログが誰かの役に立てているのか、どういう情報を発信していくべきかまだ手探り状態なのですが、そういったデータを集めるためにも100記事は書こうと思っています。それからどうするか考えます。
その他、情報ありがとうございます。
今後の活動の参考にさせていただきます。
最後に、今私は、人生の方向性が今までで一番はっきりしており、その方向に向かい始めております。
まだこの方向は歩き始めたばかりなので、成果がすぐに出ず、苦しい時期を送ることになると思っています。
それでも、ある程度は同じ方向で歩き続けようと覚悟を決めておりますので、どうか長い目で、温かく見守っていただけたら幸いです。
また、何かあればコメントいただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。